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TAMBA発、コードブルー

1月22日(金)晴れ

いつものように患者さんであふれかえる外来に、

昨日から熱が出ていると13歳の男子中学生が祖母に付き添われやってくる。



受付時間は午前8時48分。

来院時、体温39.0度で咳と頭痛を訴える。

午前9時30分、

看護師よりインフルエンザ迅速診断キットに

検査液を垂らした瞬間に非常に濃い反応が出たと報告。

廊下まで一杯の患者さんの間をぬって

感染症用診察室に行くと斜めうつむきかげんに

頭をかかえるようにして涙を溜めて寝ているA君が目に入る。



「頭、痛いか?」

「うん、痛いぃー」

診察後、薬局さんに連絡しすぐにリレンザを持ってきてもらい吸入させる。



これが午前9時55分。

同時にルートを確保し点滴(ソルデム3A 500)を開始。



午前11時過ぎ。

「先生、目が見えないと言っておられます」とやや緊張した表情で看護師から報告。


私がかけつけると両眼は正中固定し呼びかけにも反応なし。

両側手首はピクピクと痙攣を始める。血圧100/50 SpO2 97% 脈拍104/min



これは大変!すぐに弟(柏原病院小児科勤務)に電話!

「おい、インフルエンザ脳症かもや。たのむわ!」

11時8分救急要請→11時14分救急車当院に到着。



「皆さんすみません!急患を搬送してきますので外来は一時中止します」と私。

「結構ですよ!」と暖かい患者さんの声。

11時24分、待ちくたびれて車椅子で座ったまま斜めになって

眠ってしまっているご老人を尻目に救急搬送を開始。



病院まではわずか10分ほどの距離だが

なかなか道を譲ってくれない軽自動車もいてイライラ!

道中、やはりA君は呼びかけにも反応なく

チェーンストーク様呼吸(かなり危険な呼吸)を繰り返す。
 
同乗の祖母も「先生、大丈夫でっしゃろか?

もっとはように連れてきたらよかったのにすんまへん」と心配顔。


うっ!まだか!柏原がこんなにも遠く感じるとは!

幸い呼吸停止も無く、無事に柏原病院へ到着。11時36分

外来中にもかかわらず弟をはじめK先生、Y先生もかけつけてくれる。



弟「お兄ちゃん、もうやっとくからええで」



私は廊下に出て、家族に状況を説明。

そこに弟がやってきて

「最善の治療をするためにヘリコプターでこども病院まで運びます」

深刻な事態である事を悟り、両親の顔色がサッと変わる。



私・・・後ろ髪を引かれるような思いで帰院。

(航空隊からは天気はいいのでヘリの手配は早めにできるとの連絡を聞く)

12時49分ヘリ出発 13時15分県立こども病院到着




「皆さん、お待たせしました。診察を再開します。すみません」と私

「いえいえ私の時もよろしくね」と高齢の婦人。



午前診察終了後、柏原病院の弟へ電話。

「先生はヘリで飛ばれて今頃は帰りのタクシーじゃないでしょうか?」

との返事。



うっ!またまた危険も顧みず弟が行ってくれたのか!



早速弟の携帯に電話。

「どうやった?」

「何とか運んだけど意識は戻らんままやった」

「そうか。ご苦労さんやったな」



その後、3日間連絡はなかったがなんと昨日(26日)になって

「A君は今日退院して明日から学校に来るって聞いた」と

たまたま風邪をひいて来院したA君の同級生から聞く。



なにぃ!!!



A君の家に電話じゃ!

お母さん「先生!お蔭さんで・・・」

私「本当によかったですね!・・・」(もっと早く言ってほしかったなぁ・・・心の声)



いやいやしかしよかったよかった。

命が助かったことはもちろん、

後遺症が残っても大変だし、今回は本当にホッとしました。



そこでやはり1番に思ったのが、

もし県立柏原病院の小児科を守る会が発足していなかったら、

柏原病院の小児科が無くなっていたら・・・ということでした。



もし、丹波のお母さん達の守る会もなかったら、

今頃は大変悲しい結末になっていた可能性もあり、

またまた「中学生がインフルで死亡」とニュースになっていたかも知れません。



私もかつては大学病院の集中治療室にいた人間。

こんな事例は沢山あると思いますが、丹波の一つの奇跡をお伝えしたくて書きました。



いやー本当にありがとう!



今回の奇跡が起こった背景



1 柏原病院小児科の存在とそれを支え守ってくれた守る会の存在

2 看護師からの報告が正確で迅速であった

3 帰宅後ではなく院内で発症したため処置が早かった

4 抗インフルエンザ薬リレンザを意識のある間に1度でも吸入できていた

5 日中で天候もよくヘリの手配がすぐにできたなど救急隊の迅速な活躍
 



後日談

お腹を出したまま診察の途中で放置されたFさんはO村薬局で

「仕方ないわね」と納得されていたとか。



またA君には小さな弟がいますがA君が退院してきた時、抱きついてきて泣いて喜んだそうです。

今さらですが本当に多くの方のご協力があってこその救命であるとつくづく思いました。

ありがとうございました。


2010年1月27日                    和久医院 和久晋三

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